2008年11月23日日曜日

宮本武蔵玄信 と、現在を比較する。 (^0^)


二十九歳で剣を捨て、仏像を何体も彫っていたので罪悪に苛まれて

居たのだろう。。えっ?えー 欧米化 とはいえ、呆れた解釈だね (^0^)

戦国終わって間もない時代です。共に死を覚悟して挑んでいるのに

共に罪の意識では・・ 真剣:試合に成るか?どう考えても漫画だろう

鎧と甲を着け、細川家の方へ向け埋葬してくれ との*遺書に対して

忠犬:ハチ公にした感覚?・・*歴史を読めば!誰でも理解出来るよ

二天一流から、金剛界胎蔵界:基本の修験道者だったと云う既刊書も

有るくらい精神修行では怖くて何処も雇えない中で、細川家だけ面倒

そんな訳で、お世話になった御礼として、五輪の書を預けたのですが

鎧と甲の意味は、死ぬまで *頭脳の中で、真剣試合していたのです

気が付けば、五輪の書の内容も理解出来ます。最後まで礼儀を尽くす

優しい心遣いの武士だったが・・気が付かない程の馬鹿殿。 この時代

武家組織に馴染まない!個性的な:宮本武蔵だったから無理ないかも

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